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2024年03月02日
羽田空港事故の海上保安庁乗員公葬
羽田空港で日航と海上保安庁の航空機が衝突した事故から2カ月となった2日、第3管区海上保安本部(横浜)が死亡した海保機の乗員5人の3管本部葬を東京都内で開いた。幹部は「優しさと使命感、責任感を併せ持つ保安官のかがみ」と振り返り、死を悼んだ。2024年3月2日 19:44
会場では祭壇に副機長だった田原信幸さん(当時41)ら5人の遺影が掲げられ、遺族や海保職員ら約300人が黙とうをささげた。石井昌平海保長官は「能登半島地震の被災地に支援物資を運ぶ尊い任務で殉職した。多大な功績のある職員を失い、痛恨この上ない」と述べた。
5人が所属した3管羽田航空基地の林博之基地長は、通信士だった石田貴紀さん(同27)が英語力を生かした国際業務を希望し、探索レーダー士だった帯刀航さん(同39)が穏やかな人柄で若手に丁寧な指導をしていたことなど仕事ぶりを紹介。「このような事故を繰り返さないよう、全力を尽くす」と誓った。
5人の遺族の代理人弁護士は報道陣の取材に「いまだに心の整理はつかないが、本日の公葬を経て少しずつ前に向かって歩み始めております」という遺族のメッセージを読み上げた。
葬儀後、遺族らは海保職員に付き添われ、事故現場の滑走路付近に向かった。献花台に花を手向け、事故の発生時刻にあわせて黙とうした。
事故は1月2日、羽田C滑走路で発生。着陸した札幌発の日航機と、滑走路上にいた海保機が衝突、炎上した。海保機の5人が死亡し、機長が重傷を負った。海保機は能登半島地震の対応で新潟航空基地に向かう予定だった。〔共同〕
投稿者 首相の晩餐マスター : 2024年03月02日 23:33
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