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2006年07月21日
福田康夫元官房長官 自民党総裁選へ出馬せず
9月の自民党総裁選へ去就が注目されていた福田康夫元官房長官(70))は7月21日、立候補しないことを決めた。出馬して靖国神社参拝問題や対アジア外交が大きな争点となり、国論が二分され国益を損ねる事態を招くことを懸念した。福田氏は同日夜、都内で記者団から総裁選には出馬しないのかと聞かれ、「そんなの前からだ」と明言。理由として自身の支持率低下や年齢などを挙げ、「総合的に判断」したことを強調した。(時事通信)
首相の晩餐も第2幕へ近づきつつあります。総裁選の行方は折をみて掲載していきたいと思います。
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2006年07月19日
小泉首相関連本を追加
関連書籍ページにて小泉首相関連の書籍を3冊追加しました。
どうぞご利用ください。
>>小泉首相関連書籍
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2006年07月18日
主要国首脳会議(ロシアサンクトペテルブルクサミット)から帰国
(17日)=現地時間
【午後】主要国首脳会議(サミット)を終え、ロシア・サンクトペテルブルクのプルコボ国際空港を政府専用機で出発。
(18日)=日本時間
12時7分、羽田空港。41分、皇居。帰国の記帳。54分、官邸。
13時40分、安倍晋三官房長官。17時14分、公邸。
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2006年07月17日
サンクトペテルブルク・サミット
16日=現地時間
【午後】ロシア・サンクトペテルブルクのコンスタンチン宮殿で主要国(G8)首脳会議(サンクトペテルブルク・サミット)2006の首脳討議。首脳ワーキングディナー。宿舎。
17日)
【午前】同宮殿で招待国首脳・国際機関関係者との会合。
【午後】招待国首脳・国際機関関係者とのワーキングランチ。各国首脳らと写真撮影。日本側宿舎でインドのシン首相と会談。国際メディアセンターで記者会見。
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2006年07月16日
ロシア サンクトペテルブルク・サミット
16日=現地時間
【午前】コンスタンチン宮殿で主要国(G8)首脳会議(サンクトペテルブルク・サミット)の首脳討議。G8ユース・サミット参加者と交流。
【午後】首脳ワーキングランチ。日本側宿舎でドイツのメルケル首相と会談。同宮殿で首脳討議。各国首脳と写真撮影。
投稿者 首相の晩餐マスター : 23:36 | コメント (0) | トラックバック
2006年07月15日
主要国首脳会議ロシアサンクトペテルブルク・サミット
15日=現地時間
【午前】宿泊先のヨルダン・アカバのインターコンチネンタルホテル・アカバ。
【午後】政府専用機でロシア・サンクトペテルブルクのプルコボ国際空港。主要国首脳会議(サンクトペテルブルク・サミット)会場のコンスタンチン宮殿に隣接する宿泊施設。コンスタンチン宮殿でプーチン・ロシア大統領と首脳会談。ピョートル宮殿でプーチン大統領主催夕食会。
投稿者 首相の晩餐マスター : 23:36 | コメント (0) | トラックバック
2006年07月14日
ヨルダン・アカバ
13日=現地時間
【午後】ヨルダン・アカバの国王離宮でアブドラ国王と会談。国王主催夕食会。宿泊先のインターコンチネンタルホテル・アカバ。
14日
【午前】国王離宮でバヒト首相と会談。同ホテル。
【午後】同行記者団と懇談。ペトラ遺跡視察。同ホテル。
投稿者 首相の晩餐マスター : 23:38 | コメント (0) | トラックバック
2006年07月13日
エルサレム ヨルダン・アカバ アッバス議長と会談
12日=現地時間
【午後】宿泊先のエルサレムのデービッド・シタデル・ホテルで在留邦人らと懇談。
13日
【午前】エルサレムの旧市街視察。パレスチナ自治区ラマラの議長府で歓迎行事。アラファト廟(びょう)で献花。アッバス議長と会談。
【午後】日本の支援による議長府改修工事の除幕式。アッバス議長と共同記者会見。議長主催昼食会。エルサレムのデービッド・シタデル・ホテル。テルアビブから政府専用機でヨルダンのアカバ空港。インターコンチネンタルホテル・アカバ。
投稿者 首相の晩餐マスター : 23:39 | コメント (0) | トラックバック
2006年07月12日
イスラエル・テルアビブ オルメルト首相と会談
11日=現地時間
【午後】イスラエル・テルアビブのベングリオン国際空港。宿泊先のエルサレムのデービッド・シタデル・ホテル。
12日
【午前】ホロコースト記念館「ヤド・バシェム」訪問。首相府で歓迎式典。オルメルト首相と会談。首相公邸で共同記者会見。オルメルト首相主催昼食会。宿泊先ホテルで昨年8月に日本を訪問したイスラエル、パレスチナ青少年と再会。大統領府でカツァブ大統領表敬。宿泊先ホテルでリブニ外相と会談。
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2006年07月11日
中東諸国訪問 主要国首脳会議(サンクトペテルブルク・サミット)出席
12時40分、羽田空港。13時3分、イスラエルなど中東諸国訪問と、ロシアで開かれる主要国首脳会議(サンクトペテルブルク・サミット)出席のため政府専用機でイスラエルのテルアビブへ向け出発。
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2006年07月10日
<W杯決勝>イタリア、PK戦制し24年ぶり優勝
サッカーのワールドカップ(W杯)ドイツ大会は第25日の7月9日午後8時(日本時間10日午前3時)、ベルリンで決勝のイタリア-フランス戦が行われ、イタリアが1-1のまま迎えたPK戦を5-3で制し、この結果、“アッズーリ(イタリア代表の愛称)”が24年ぶり4回目の優勝を果たした。優勝回数はブラジルの5回に次ぐ単独2位。
現役最後の試合に臨んだジダン(レアルマドリード)のPKでフランスが前半7分に先制すると、イタリアが同19分にピルロ(ACミラン)の右CKをマテラッツィ(インテル)が頭で合わせて追い付く展開。
後半からは動きの量で上回るフランスが優勢に進めたが、延長後半5分、フランスに予期せぬ事態が訪れる。
競り合い後にマテラッツィと言い合いになったジダンが頭突きをし、レッドカードで退場処分に。
流れを失ったまま迎えたPK戦で、後攻のフランスは2人目のトレゼゲ(ユヴェントス)が失敗。
4人目まで成功していたイタリアは、5人目のグロッソも確実に決め、24年ぶりにW杯を制した。
ロイター通信によれば、イタリア代表のリッピ監督は試合後に「選手たちに感謝しなければ。私の人生のなかで最高の瞬間だよ」とコメント。「選手たちは気持ちを切らさずにこれ以上ないスピリットを見せてくれた」と続け、歓喜の表情を浮かべた。
一方、敗れたフランスのドメネク監督は「ジダンが退場となったときにゲームは終わった」と、力なく試合を振り返った。
なお、2006年W杯はこの試合をもって全日程を終了。
得点王の栄誉にはドイツ代表FWクローゼ(ヴェルダー・ブレーメン)が5得点で輝いている。
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2006年07月09日
開催国ドイツが3位 3対1でポルトガル下す
開催国ドイツが3位 3対1でポルトガル下す
サッカーのワールドカップ(W杯)ドイツ大会第24日は7月8日、シュツットガルト(会場:ゴットリーブ・ダイムラー・シュタディオン)で3位決定戦を行い、ドイツがポルトガルを3-1で破った。過去3度の優勝経験を持つドイツの3位は、西ドイツ時代の1970年メキシコ大会以来で3度目。
上川徹氏が日本人審判員として初めて決勝トーナメントで主審を務めた試合は、ドイツが21歳のバスティアン・シュヴァインスタイガー(バイエルン・ミュンヘン所属)が2ゴールを挙げる活躍で制した。
投稿者 首相の晩餐マスター : 06:46 | コメント (0) | トラックバック
2006年07月05日
北朝鮮、ミサイル6発を発射
北朝鮮は7月5日午前3時30分過ぎから8時過ぎにかけて、計6発の弾道ミサイルを発射した。
いずれも数分後、日本の沿岸から数百キロ離れた日本海に着弾した。政府は、このうち1発は「テポドン2号」(射程3500~6000キロ)だと判断している。
安倍官房長官は7月5日午前に会見し、北朝鮮がミサイルを発射したことについて極めて憂慮するべきものである」との内閣官房長官声明を発表した。また、北朝鮮に対しては、経済制裁を行うことを念頭においているとし、行うことができる全ての制裁措置を検討していくとの見解を示した。
投稿者 首相の晩餐マスター : 12:00 | コメント (0) | トラックバック
2006年07月04日
帝国ホテル宴会場「楓の間」
東京・内幸町の帝国ホテル。
宴会場「楓の間」で清原武彦産経新聞社会長、広瀬道貞テレビ朝日会長ら報道各社幹部らと会食。
投稿者 首相の晩餐マスター : 09:16 | コメント (0) | トラックバック
2006年07月01日
カナダ、米国訪問を終え政府専用機で羽田空港
30日=現地時間
【午後】ブッシュ米大統領夫妻とともにテネシー州メンフィス市内のキング牧師暗殺現場「ロレインモテル」(現在はNational Civil Rights Museum・国立公民権博物館)視察。同市内で大統領夫妻昼食会。政府専用機でメンフィス空軍基地を出発。
1日=日本時間
17時53分、カナダ、米国訪問を終え政府専用機で羽田空港。18時29分、東京・南麻布の故橋本龍太郎元首相宅。同氏の弔問。43分、公邸。
*国立公民権博物館
National Civil Rights Museum
黒人開放運動の指導者である牧師マーティン・ルーサー・キングJr.の業績や公民権運動の歴史を伝える博物館。1968年4月4日、演説中のキング牧師が銃弾を受けて暗殺された場所でもある。
投稿者 首相の晩餐マスター : 23:30 | コメント (0) | トラックバック
橋本龍太郎元首相が死去
元首相の橋本龍太郎(はしもと・りゅうたろう)氏が7月1日午後2時、多臓器不全と敗血症ショックのため東京都新宿区の国立国際医療センターで死去した。68歳だった。
橋本氏は1937年7月、東京都渋谷区で、厚相などを歴任した橋本龍伍氏の長男として生まれた。高知県知事の大二郎氏は異母弟。
1960年に慶應義塾大学法学部を卒業後、呉羽紡績(現・東洋紡績)社員に。橋本龍伍氏の死去を受け、1963年11月に衆院旧岡山2区から26歳で初当選。以来、連続14回当選した。厚相、運輸相、蔵相、通産相、自民党政調会長、幹事長などを歴任し、1996年1月、村山富市首相の退陣を受けて第82代首相に就任。財政構造改革や行政改革など「六大改革」を掲げ、現在の1府12省庁の中央省庁再編に道筋を付けた。