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2008年03月13日

<ヤナセ>梁瀬次郎氏死去 日本の輸入車業界の基礎築く

輸入車販売の草分けの梁瀬次郎・ヤナセ名誉会長が13日、91歳で亡くなった。戦後に欧米メーカーから販売権を獲得し、販売網だけでなく、部品供給やアフターサービスの体制も整えた。業界団体トップを長年務め、日本の輸入車業界の基礎を築いた。
3月13日21時34分配信 毎日新聞

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梁瀬さんは45年5月、父の長太郎氏が創業した梁瀬自動車(現ヤナセ)の社長に就任した。48年には戦前から関係のあった米ゼネラル・モーターズ(GM)車の輸入販売を再開し、50年代にはメルセデス・ベンツやフォルクスワーゲン車の販売も始めた。補修用の部品倉庫を設けて顧客対応を充実し、業界最大手に押し上げた。

65年には日本自動車輸入組合の理事長に。日系メーカーが輸出を増やす中、輸入車販売の促進による日米の貿易摩擦解消を訴えた。04年には「多くの外国車を日本に紹介した」功績が認められ、ホンダ創業者の本田宗一郎氏らに続き米国自動車殿堂入りを果たした。

ただ、70年代以降に高級服や宝石の輸入など多角化を進めたが、バブル崩壊後に撤退。海外メーカーが日本法人を通じた対日輸出を強化したことで90年代後半以降は経営が悪化した。

伊藤忠商事がヤナセ株の13%を取得して再建支援に乗り出すのに伴い、梁瀬氏は02年に代表権のない取締役名誉会長に退いた。梁瀬一族の持ち株も40%弱から7%に低下した。同氏が社長、会長として経営を主導したのは57年にわたった。【谷川貴史】

投稿者 首相の晩餐マスター : 2008年03月13日 22:57

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